* * *
ある日の夜のこと。
フェリシアはあるお屋敷の台所で下級料理番として仕事をこなしていた。
ピンクがかった長い黒髪は邪魔になるのでくくり、頭巾を付け、汚れたドレスを隠すよう、エプロンを腰に巻いている。
料理を作る台所は天井が高く、煙を逃がす窓があり、
壁に調理器具がかけられ、茶色の長机にはお皿に盛り付けられた色んな種類の豪華な料理が並べられている。
そしてこの場にはシェフ、上級料理番が3人おり、
下級料理番はフェリシアを含めて6人いて、忙しそうに働いている。
その中でもフェリシアは長年務めていることにより、下級でも特別に一品だけ料理を任されていた。
けれど、どの料理も綺麗な盛り付けで、下級の自分にはとても同じようには出来ない。
それでも出来る限り、完成したビーフシチューをお皿に綺麗に盛り付け、そのお皿に白く美しい花を添える。
(よし、今日もなんとか綺麗に出来たわ)
そう、安堵すると、料理運びである着飾った女主人のイラついた罵声が飛んでくる。
「何やってんだい、早くこっちの机に置きな」
「お出しする前にビーフシチューが冷めちまうだろう」
「はい、申し訳ありません」
フェリシアは料理台から茶色の長机に完成したビーフシチューのお皿を置く。
すると、女主人はブツブツ嫌味を言いながらもお盆にそのお皿を乗せ、他の豪華な料理と一緒に運び、台所から出ていく。
そんな中、開いた扉から貴婦人達の声が聞こえてくる。
「ねぇ、お聞きになりまして?」
「エルバート様が花嫁を探していて、選ばれた家にはエルバート様の直筆の婚約の手紙が届くそうよ」
「エルバート様って、今年で21歳になられるルークス・アルカディア皇帝に仕え、公爵家のお家柄で魔討伐の軍の中でも絶対的権力を持つ軍師長である、あの、エルバート・ブラン様!?」
「えぇ、でもエルバート様は冷酷で愛のない人らしく、よほど気に入られない限り、すぐに婚約を破棄されるだろうとのご噂よ」
「そんなご噂が。呪いの手紙なんて来て欲しくないわ」
貴婦人達がそう零(こぼ)すのを聞いたフェリシアは、ふぅ、と息を吐く。
(わたしには全く関係のない噂ね)
* * *
「ローゼ伯母さま、只今、戻りました」
仕事を終えたフェリシアは、ボロ家の居間に座る伯母の後ろで跪き、いつも通り報告する。
(今日も帰ってくるのが深夜になってしまった……。きっと罵声を飛ばされる)
そう思い、萎縮すると、
伯母はこちらを向く。
「あら、フェリシア、おかえりなさい」
フェリシアは意表を突かれた。
(あのいつも不機嫌なローゼ伯母さまが、朗らかに笑い、上機嫌、だなんて)
一体、何が起きたのだろう。
「きょ、今日も帰りが遅くなり、申し訳ありません」
「もういいわ」
「それより、フェリシア、お聞きなさい」
「エルバート様からあなた宛てにご婚約の手紙が届いたのよ」
「え」
固まるほかなかった。
なんと噂の絶対的権力を持つ軍師長、エルバートから婚約の手紙が届いたと伯母はいうのだ。
伯母はフェリシアに手紙を渡す。
自分も伯母も魔を祓う力はない。
それに伯母から自分の両親も力を持っていなかったと聞いている。
だからにわかに信じがたいけれど、
高級感のある薔薇の絵柄の手紙に、見たこともないような綺麗な直筆の文字とこの刻印の月の紋章は本物だと思うほかなかった。
「今まであなたを育ててきた甲斐があったわ」
「当然、このお話、受けてくれるわね?」
下級料理番として働く時間だけが自分に唯一許された外に出られる時間で、
心が癒される時間でもあったのに。
それすら今日でなくなってしまった。
「はい」
「ローゼ伯母さま、今までお育てくださり、誠にありがとうございました」
跪いたまま、手紙をぎゅっと抱きしめ、頭を下げる。
伯母の命令とエルバートの絶対的権力で断ることは出来ず、
フェリシアは伯母に売られるかのごとくエルバートの家に嫁ぐこととなった。
エルバートが叫ぶと、リリーシャはルークス皇帝に剣先を向け、剣から祓いの力を溢れ出させ、疾風のごとく駆け、ルークス皇帝に斬り掛かり、ルークス皇帝は剣ごとリリーシャを打ち飛ばす。すると続けてラズールが祓いの力を体から放ち、瞬時にルークスの前まで駆け、鞘から剣を抜き、腕を斬り落そうとする。ルークス皇帝はそれに素早く反応し、剣ごとラズールを打ち飛ばすと、クォーツが弓矢に祓いの力を込め、三つ編みにして一つに束ねた髪を揺らし、弓矢を放つと同時にシルヴィオが銃を構え、トリガーを引き2連続で撃つ。ルークス皇帝は瞬時にその弓矢と銃弾を避ける。「ディアム、行くぞ」「かしこまりました」エルバートの掛け声にディアムは応じるとふたりは同時に剣を一閃しながらターンをして腕を引き、剣先をルークス皇帝に向け、同時に祓いの力を放つ。ルークス皇帝はその攻撃を剣で跳ね返すとふたりは瞬時に避ける。そしてエルバートは祓いの力で瞬速にルークス皇帝まで駆け、高く飛び上がり、ルークス皇帝に向けて剣を振り下ろす。ルークス皇帝は剣ごとエルバートを打ち飛ばし、エルバートは一回転して床に着地する。するとフェリシアは手を前に出す。「フェリシアよ、このまま我を浄化すれば、ルークス皇帝をも浄化する事になるのだぞ。それで良いのか?」ルークス皇帝に脅され、フェリシアは躊躇(ためら)う。するとルークス皇帝は剣をエルバートに向け、殺気を放つ。(本気でご主人さまを……)「ご主人さま、申し訳ありません。やっぱり見ているだけだなんて出来ません」「ブローシャイン!」フェリシアが唱えた瞬間、光の衣が体全体を包み込み、その光がルークス皇帝に向かって放たれる。するとルークス皇帝は剣ではなく手でその攻撃を跳ね返し、祓いの力で瞬速に駆けて来たエルバートにフェリシアは抱き寄せられ、攻撃は逸れて壁に当たり、壁が崩れ落ちる。「フェリシア、何があろうと一切手出しするなと言ったはずだが?」「ご主人さま、申し訳ありません……」フェリシアが謝罪す
その後、フェリシアはエルバートから牢を破壊したディアムと共に炎と魔を浄化しながら皇帝の間まで向かったとのことを聞き、心の中で思う。エルバートが生きていると信じてここまでシルヴィオ達と共に来て良かったと。「では開けるぞ」エルバートが皇帝の間の扉を開ける。すると、皇帝の側近であるリンク、ゼイン、グランドール、ユナイトがそれぞれ剣でルークス皇帝と戦っていた。ユナイトは司祭で自分の教官でもあり、剣を持つ姿は初めて見たけれど、エルバートと同じく軍に所属していた時を思わせる軍師の顔に戻っていた。「エルバート、そしてフェリシア嬢、来たか」「ではこれより、最終段階に移行する!」クランドールは叫ぶとユナイトと共に剣先をルークス皇帝に向ける。すると祓いの力で剣先が光輝き、ルークス皇帝の周りに人型の式神が光のような姿で複数現れ、手を繋ぎ囲う。「ほお、皆の動きが不自然だと感じてはいたが、我の封印の準備を完了させる為であったか」ルークス皇帝が納得すると、ユナイトが叫ぶ。「リンク様、ゼイン殿下、今です!」皇帝の側近とゼインは頷き、剣先を合わせ、ルークス皇帝の心臓に向ける。「ルークス皇帝!」「ご覚悟を!」皇帝の側近とゼインが続けて叫ぶと、剣先が神々しく光輝く。そして次の瞬間、強力な祓いの力を放とうとした。まさにその時だった。「うわああぁぁ」魔の強力な精神攻撃を同時に受けた皇帝の側近達4名の苦しげな声が響き渡り、全員剣を床に落とし、両手で耳を塞ぎ、次々と床に倒れ、全員気絶した。「そん、な……」フェリシアは動揺の声を零し、両手を口に覆う。「エルバート、見よ」「これが我に本日の如月の中旬に実行する暗殺の策が知られるはずがないと思い込んでいた哀れな奴らの結末だ」ルークス皇帝は笑みを浮かべながら言う。するとエルバートは視線をフェリシアに向ける。「フェリシア、魔の狙いはお前だ」「だからお前は何があろうと一切手出しするな
フェリシアはお辞儀をし、シルヴィオと共に立ち上がる。そしてシルヴィオ達4名とアルカディア宮殿の来賓用の扉前まで移動すると魔はいなかった。まだ支配されていないよう。良かった。フェリシアは安堵の息を吐き、ドレスのブローチを掴む。(ご主人さま、今、行きます)フェリシアは意を決し、呪文を唱え叫ぶ。「ルシア!」その瞬間、フェリシアの右手の甲に印が表れ、神々しい光に包まれる。ピンクがかった黒髪は美しいピンクゴールドに染まり、ベールが付いたリボンで両髪を少し編み込まれ、そのベールがふわりと浮かび上がる。そして瞳に宿りし光を感じ取り、フェリシアは清楚で華やかな美しきドレスをまとった伝説の祓い姫の姿となった。「では皆さん、参りましょう」フェリシアは守りの呪文「シルト」を唱え、シルヴィオ達4名もそれぞれ結界を張り、アルカディア宮殿の中へと入る。すると炎が立ち込める中、人の式神のような姿をした異形なアンデットの魔と複数遭遇し襲い掛かられ、シルヴィオが銃、クォーツが弓、リリーシャとラズールが剣で魔を浄化していき、フェリシアは結界で跳ね退けながら廊下を突き進んでいく。それからしばらくして皇帝の間近くまで辿り着いた。しかし、炎と複数の魔による邪気の霧で周りが見えなくなってしまう。これでは先に進めない。(この炎と邪気の霧を祓わなければ、ご主人さまにはきっと会えない)(大丈夫。わたし、絶対にご主人さまの元へもう一度会いに行くわ)フェリシアは両指を絡め、祈りの形を取り、瞳を閉じる。するとベールがふわりと浮かび上がるのを感じ、「リヒド」フェリシアは唱え、祈りを捧げた。次の瞬間、天井が少し壊れ、無数の光の雨が降り注ぎ、轟音と共に床に突き刺さり、炎と複数の魔の邪気の霧は浄化された。床も少し割れ、穴も空いているけれど、なんとか調節出来たみたい。フェリシアは安堵し、前を見る。するとエルバートとディアムの姿が両目に映った。ふたりともこちらを見ている。(ご主人さま、生きていた―
(そんな……、アルカディア宮殿が炎に…………)フェリシアが炎に驚き動揺すると、シルヴィオの式神の姿が徐々に薄くなっていく。(この現象はアベルさんの式神の時に見た、力を使い果たす前のものと同じ)「シルヴィオさん、あのっ……」「限界に達したようですが間に合って良かった」「主が参りましたのでこれにて。ご武運を祈っております」シルヴィオの式神は消滅した。するとシルヴィオがフェリシアの元まで駆けて来る。「シルヴィオさん、お会い出来て良かった……」「はい。フェリシア様、無事に到着されたようで何より」「現在、正面扉側は魔に支配されている為、こちらの来賓用の扉側から宮殿の中に入ります。ここもいつ魔に支配されるか分かりません。ですので早く移動しましょう」シルヴィオが返し、共に移動しようとした時だった。ドガァァアアン!突如、爆音と共に、アルカディア宮殿が爆発する。フェリシアはシルヴィオに両肩を掴まれ、共に伏せる体制となり、シルヴィオが瞬時に張った結界によって守られる。「フェリシア様、大丈夫ですか?」「はい」「まさか牢が爆発するとは……」牢が、爆発?(つまり、もうご主人さまは…………)「あ……、あ……」「ご主人、さま……い、や……」「嫌ああああぁぁぁぁっ……!!」フェリシアが悲鳴を上げると、シルヴィオが両肩を掴んだまま起こし、見つめる。「落ち着いて下さい。エルバートは生きています」「え、生き、て?」「はい。あいつのことです。恐らく、脱出したのかと」脱出。そうだ、あのエルバートが牢に囚われたまま、終わる訳など
そして、如月の中旬の朝。ブラン公爵邸の中庭の入口から白くなった月を見つめるのを少しの間許され、フェリシアは見つめていると突然、顔が整った青年が目の前まで飛んでくる。青年は軍服を着ていてシルヴィオに瓜二つだけれど、こんな時間にここに来るはずかない。「貴方はもしかして……」「はい、俺はシルヴィオの式神です」「主の命令で飛んで参りました」シルヴィオの式神が答えると、リリーシャが自分の名を呼び、慌てて駆けて来て、フェリシアの隣に並ぶ。するとシルヴィオの式神が口を開く。「現在、帝都に魔が複数現れ、アルカディア宮殿までも魔に支配され、混乱状態にあります」シルヴィオの式神に衝撃的な現状を聞かされ、フェリシアとリリーシャは固まる。「その為、アベルとカイが軍を連れ帝都へ、宮殿内は皇帝の側近、ゼイン殿下、クランドール閣下、ディアム様、ユナイト様が対応しておられます」「ご主人さまは大丈夫なのでしょうか?」フェリシアは問いかける。「主が呼び捨ての為、自分も呼び捨てに致しますが、エルバートは牢でユナイト様の右肩の回復の治療を受けたとはいえど、現状、命さえ危うい状況だと言わざるを得ません」「そん、な……」フェリシアは口を両手で覆う。「されど、エルバートは主のライバルゆえ、自分の手で倒す以外命を失うなど容赦しないとのこと」「よって、どうか祓い姫の貴女のお力をお貸し頂きたい」(ご主人さまの元へ向かいたい。けれど……)悩んでいると、リリーシャに右肩をぽんと叩かれる。「エルバート様の危機とあらば、許す他ないですね」「私達も後で向かいますから、フェリシア様は先に向って下さい」フェリシアは涙ぐみながら頷く。「分かりました。わたしを今すぐアルカディア宮殿まで連れて行って頂けますか?」「勿論。その為に飛んで参ったのですから」「ではフェリシア様、左肩を掴んで下さい」フェリシアは右手を伸ばし、左肩を掴む。す
* * * 眠れないフェリシアはベッドの上でぼんやりしていた。 アルカディア宮殿の近くで倒れ、翌日の朝には目を覚ましたものの、酷くうなされていたようで、しばらくの絶対安静をディアムに強いられ、今宵もベッドで寝ているしかなく、エルバートへの想いを馳せる。 『あぁ、料理が美味かったからだ、白く美しい花も皿にいつも添えていた』 『フェリシア、命懸けで家を守ってくれたこと、礼を言う』 『私がフェリシアにここで共に暮らして欲しいんだが?』 『フェリシア、お前は正真正銘、私の正式な花嫁候補だ』 『満月の深夜だけこうやって満開に咲くんだ。綺麗だろう?』 『――――好きだ』 『そんな顔をするな。宮殿の月はここよりももっと綺麗だ』 『お前のブローチが私の命を守ってくれた』 『フェリシア、今宵、月を見よう』 脳裏にエルバートとのこれまでの思い出が浮かび、そして。『では、行ってくる』エルバートの最後の言葉と顔が浮かぶ度、ただただ大粒の涙だけが零れ、想いがあふれ出るように涙が止まらない。 けれど、泣いてばかりではいられない。 (アベルさんの治療を受けたとはいえ、ご主人さまが受けた右肩の傷はきっと深い) (このままでは、ご主人さまのお命が危うい) フェリシアは翌日の朝。部屋にクォーツを呼ぶと、ベッドから起き上がる。 「フェリシア様、まだ寝ていないと」 「クォーツさん、教会に戻って来ているユナイト教官にご主人さまの右肩の回復をお願いして来て頂けないでしょうか?」 「お願い、致します」 フェリシアはくらっとし、クォーツが体を支える。 「フェリシア様!」 「分かりましたから、さあ、ベッドに」 フェリシアはクォーツに寝かされる。 「それでは、至急、お願いして参ります」 クォーツが急ぎ部屋を出て行くと、 フェリシアはエルバートを想い、祈り続けた。